今まで時間的な余裕がなく、味も素っ気もなく、ただ文章だけのブログでしたが、何とか見栄えを良くしてみました。
ブログはWordPressを使っています。
wordpressは、無料のブログソフトで、HPのようにも使えます。とても簡単なので、私みたいなドシロウトでも、なんとなく見栄えが良くなる?感じです。
でも、本当にド素人なので、色々とHP検索しながら、触りながらやっとこっさ、作っています。
このように自分で触って、色々とやってみると、改めて便利な世の中になったなと、思います。
HTMLを知らないのに、色んな物をタダでインストールしてそれなりのものができてしまう世の中です。
企業がHPやブログ作るだけで良かったのは昔の話。誰でも気軽に低コストで作られる。
そして、twitter、facebook、Line、手元のスマホで誰とでも繋がる。
便利になりました。
でも、便利になり、何かを得たということは、逆に失うものもあるはずです。
私が初めて何かを得て失ったと感じたのは、小学校の時でした。
当時の商店やスーパーは、夜6時か7時ごろ閉店でした。
そのため、夕方に調味料が無くなったと気づいたお母さんは、スーパで調味料を買えないため、近所のお母さんに調味料を借りに行っていました。
すみませ〜ん、醤油貸してもらえますか?とか、油貸してもらえませんか?とか。
私も、よく習字の墨や半紙を切らし、近所の家に借りにいったことを覚えています。
その代わりに、借りたお返しに、お惣菜やお菓子などを調味料と一緒にお返ししていました。
そういう付き合いがあると、必然的に、お互いに物をあげたり、もらったりすることが当たり前になります。
魚釣りして、近所におすそ分け。野菜もらっておすそ分け。おかず作りすぎておすそ分け。
私が小学生の中学年?だったか、コンビニが地元にやって来ました。
当時、朝の8時ごろから夜の11時頃まででした(確か)。夜の11時までお店が開いていることにびっくりしたのを覚えています。
コンビニが出来ると、何か夕飯時に足りないものがあった場合、コンビニに行って、足りないものを買うようになりました。
とても、便利になったのを覚えています。夜に、今必要な物が、買えるのです。当時は、画期的だったと記憶しています。
そうなると、だんだん、借りたり貸したりの関係がなくなり、ご近所の繋がりが希薄になったことを覚えています。
私としては、便利になったと喜んでいましたが、後々感じたのは、近所の付き合いが減ったことでした。
コンビニで便利になった代わりに、近所付き合いが減った、希薄になった。
こんなことを思い出してしまいました。
都会は便利すぎて、近所同士が助けあう必要がありませんね。
だから、都会は近所の人付き合いが田舎と比べ希薄です。
今の繋がりは、浅く広く。浅さが満潮時の干潟のようにどんどん浅くなっていく。
私はそう感じます。
逆に、そういう世の中だからこそ、狭く深くをどこかで渇望しているような気がしています。
どう思いますか?
因みに、トップ画面の建物写真は私が撮影したものです。
さてどこでしょう?
分かった方は、私までご一報ください。
