人の目は、正しく人を見ていないことがあります。

ある人の感想を色んな人に尋ねると、気持ちのいい人、頼りがいのある人、人のことを考えない人、うるさい人など、同じ人ですが、人によって色々な感想があります。

人によって、その人の評価は違います。

私に対して、親身な人、優しい人という人もいれば、ズケズケと言うひどい人、冷たい人など、人によって、評価が異なる場合があります。

私は、1人ですし、多重人格者ではありません。性格も昔から全然変わらないと言われます。

では、どれが正しいのでしょうか?

どれも、正しいと思います。人の印象や、感じ方は、人が決めます。

但し、その人の性格を知っていることとは、別です。

何故なら、人は、その人自身の性格を見ているというより、自分の性格、立場、考え方を通して、相手を見て、判断するからです。

私は、自分の心のフィルターと言っています。

自分の立場、考え方、性格などが、相手と共感できれば、好きだとか、優しい人となります。共感できなければ、嫌いとか、ひどい人となります。

人は相手のことを見ているようで、見ていない事のほうが、多いと思います。

以前、とある会社で気になる人がいました。好きな人ではありませんよ。その人の評価は、経営者や上司は抜群なのでした。

私は、その人の話を聞けば聞くほど、何だか気になる人。胸騒ぎがするのです。

会社にとって、良くない人という胸騒ぎです。

その結果、その人は、会社でしてはいけないことをしていました。

上司や周りの人は、あの人がこんなことをするなんて、信じられないと言っていました。

これは、自分の心のフィルターが、あるからだと考えています。または、全く見ていないか。

心のフィルターとは、人やモノを見るときに、そのままを見るのではなく、自分の今までの経験などによる自己解釈を通して見ることを言います。

このケースは、自分のフィルターを通して見た際、良い人、会社のためにやってくれる人と判断したと思います。

自分の良い基準が多く当てはまったのかもしれません。

人は、1度良いと思ったら、共感できなくなるまで、その人を見なくなります。こうだと思い込んだら、人は相手のことを見なくなってしまう。

その人に、ズルさがあるところは、見えていたのですが、自分のフィルターがあるため、見えていなかったのです。

このフィルターは、子供の頃はほとんど無く、大人になるにつれて、フィルターがどんどん気密化していきます。

子供の頃は、純粋に人を見ていたと思います。

いつしか、物心がついたあたりに、フィルターがどんどん気密化していきます。それは、自分を守るために生まれたフィルターです。

人は物心がつくあたりから、傷つきたくない、怒られなくない、嫌われたくないなど思い始めます。

傷つきたくないために、自己欺瞞の殻を作ります。良いふうに考えたり、相手が悪いなど。

人は、自分を守るために、フィルターが必要になります。フィルターが無いと、人は生きていけません。

フィルターが出来るのは、社会適応能力を付けるための手段です。

いつしか、自分のフィルターを通して、相手を見るようになります。

フィルターがあることが、悪いことではありません。自分が生きるために必要なものです。

このように考えると、自分がこの人は、信用できる人だったのに、裏切られたとかというのは、自分のフィルターにより、その人が見えていないということも考えられます。

正しく人を見る、正しい目で見るということは、自らフィルターを外して見ることだと思います。

勇気がいると思いますが、 新しいものも見えてくるかもしれませんよ。

これは、私の完全な自論なので、全ての事柄に当てはまるわけではありません。ご理解下さい。

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